ロマサガがスマホゲーになってしまった。「ロマンシグサガ リ・ユニバース」レビュー

全国のロマサガ愛好家の皆さんこんにちは。スマホゲーム「ロマンシングサガ リ・ユニバース」が、2018年12月6日より配信になりましたね。

私は初代ロマサガ以来のファンであり、もう息子とポケモンという感じでもない(息子の年齢的に)し何のゲームが一番好きか? と問われたらロマサガシリーズと答えていいなと思うぐらいの愛好家なんですが、スマホ版登場の知らせを聞いて、やや複雑な気持ちながら心待ちにしていました。

SS確定リリース記念ガチャは回していませんが、とりあえず一区切りといってよさそうなあたりまで遊んだので、レビューを書きたいと思います。

このレビューの前提

私はいわゆるソシャゲ、スマホゲーの類に強い拒否感を持っています。多くのスマホゲーはガチャ等で気持ちいい要素を小出しにしてユーザーに気を持たせ続け、習慣化させ、中毒になったユーザーから時間と金を毟り取り続けます。

ユーザーをどれだけ「やめられない」状態にして囲い込み、刹那的な快楽と引き換えにして金を使わせ続けられるかがビジネスとしての成否を分けるなんてダメでしょう。タイトルに愛があるならパチンコとソシャゲに出したら終わりだね、という「偏見」を持っています。

が、実際ロマサガがスマホゲーになっちゃうならしょうがない、いっちょ病んでみるか、ということで、始めてみました。そういう偏った視点からのレビューであることにご留意ください。

胸がたいへんに立派!

さて、アプリを起動して簡単なチュートリアルを終えると無料ガチャタイムとなるんですが、チュートリアルとガチャを通して気になるのが、キャラの「胸」です。どうもカタリナ(ロマサガ3)がイチオシらしく、あちこちの画面に出てくるんですが…。迫力あるな。

せっかくのスマホゲーなのでこの絵のカタリナが出るまでリセマラなるものをやってみようと挑んだところ、3回目で出ました。その後別の端末で10回ぐらい引いてみたけどいっさい出ないので、わりとラッキーだった気がします。

本作ではキャラに3段階のレアリティ(SS、S、A)が設定されていて、同じキャラでもレアリティ違いのものを「スタイル」と呼んでおり、絵も違います。上のカタリナはSSスタイル。

露出度低めだが胸が強く存在を主張しているSスタイルはこちら。カタリナのAは存在しないようです。

スマホゲーといえばきわどい格好の女性キャラ、が定番でありガチャを回すモチベーションのひとつなんでしょうし、わりと他のゲームの絵を見るに、原作の世界観も意識して露出抑え目なのかなという気はしますが、そうかあ、商売って大変だよねみたいな感慨はありますね。単にイラストレーターさんの好みかもしれませんが。

小林智美イラストもある!

ロマサガシリーズのキャラクターデザインを手掛けている小林智美さんのイラストを使ったものもあります。こちらはバーバラ(ロマサガ)のSS。

ただ、今の高精細なモニターで、それ前提に書き込まれたイラストと見比べると、絵によっては粗いなあと感じられてしまいます。もともとそういう画風ではありますが。

ロマサガ的なツボを押さえた演出

冒頭のチュートリアルは軽くさわり程度で、やたら情報密度が高い画面の細部はよくわからないままロマサガRSの世界に放り出されます(しかし、なんで「リ・ユニバース」の略が「RS」なんだろう?)が、序盤はまだ敵がそこまで強くないので、よくわからないところは適当なままでも何とかなります。

そして、陣形だとか戦闘中に「ピコーン」と技をひらめくところとか、ときに無茶な名前になる連携技とか、実にロマサガシリーズらしい演出がしっかり入っているところは、オールドファンに嬉しいところですね。

ただ、本作では1キャラが3つまでしか技を覚えないので、1キャラあたり3回しか閃く機会がありません。

あと、戦闘終了時の「○○がアップ!」もあります。シンプルに懐かしくて楽しい。

スタミナ減らない! やること多い!

スマホゲーは、行動するごとに減少し時間によってゆるやかに回復して、課金で速回復できる「スタミナ」制を取るものが多いと思います。本作ロマサガRSもそのようになっているのですが、序盤は特に、驚くほどスタミナが減りません

たぶん回復ペースがそこそこ早いうえ、プレイヤーのレベルが上がるとプレイヤーレベルと同じ数値分回復するシステムになっています。しかもストーリーを追って進めていくとだいたいスタミナが尽きる手前ぐらいでプレイヤーレベルが上がって回復する、を繰り返す調整になっているようです。

なので、うまいことやっていればスタミナ切れが起こらず、無課金で延々と遊べます。というか、やめ時がよくわからなくなります。

しかし、序盤の壁みたいな急に強くなる敵ボスがいて、普通に進めていると、この「ヤミー」の手前で1回詰まると思います。

ヤミーのあたりが、1回目の我に返りポイントかもしれません。このゲーム、何かストーリーは一応あるみたいなんですが、基本的に「強いキャラを育てて強い敵を倒すとさらに強い敵が出てくるからもっと強いキャラを育てる」を永遠に続けることが目的なゲームな気がします。

で、対ヤミーに関しては、それまでよくわからないからと適当にしていた武器や防具選びとか、強化とか、デイリーイベントによる地道な訓練なんかをやっていくことで倒せるようになります。

このあたりの細々とした育成作業をやりだすとまた時間がかかります。そして、細々としたミッション(実績)に対していちいち少額の報酬が設定されているので、それを毎回受け取る作業も発生します。内職的な楽しさはあるんですが、うーん、これを延々としたくてやっているわけでは…という感じ。

ガチャ(プレイヤーの努力と相関しないランダムな報酬)とスタミナ制度(日常生活にゲームを食い込ませる)、そして細分化した報酬設定(細かく達成感を感じさせる)がこの手のゲームの基本システムだと思います。人間が気持ちよくなり、習慣化し、依存性を高めて結果的に有料プレイヤーに育つ仕組みを研究し尽くした結果のこれなんだろうと思います。

プレイヤーとしては「手口はわかってるんだけど脳が気持ちよくなるのには逆らい難い」みたいな感じ。もっとこう、2、3日徹夜で集中的にプレイしてやり切ったー! みたいな遊び方をしたいんだけど、そういうゲームはサブスクリプション(定期購入ではないが、継続的関係の中での課金を狙う)型じゃ成立しにくいだろうなあ。

中盤に入ると課金の誘惑を感じる

序盤の強敵であるヤミーを倒して中盤に入ると、それまでよりも攻略ペースが遅くなってきます。

敵が強くなるので、ゆっくり育成しながら進む必要があり、そうするとスタミナが切れがちになる。進行が遅くなるとジュエル(ガチャ等に必要な資源)の集まるペースも遅くなり、ガチャの頻度が落ちる。でも戦力不足を強く感じるのもこの頃で、いいキャラをもっと出したい…。

じゃあ課金するか? という気分になりがちなんですが、このあたり、うまくプレイヤー心理をくすぐってきますね。最初に気持ちいいことをやらせて、もっと気持ちよくなりたい! というところでちょっとずつ距離を取るようにすると、相手は追いかけたくなる、みたいな。

ただ、ガチャの頻度が落ちるとはいってもかなりスタミナの補充ペースは速く、稼ぎの計画を間違わなければ、やっぱりかなりやめ時が見えない感じになってくると思います。

ちなみに有償ジュエルの相場は1個=1円が基本となる模様。10連ガチャはジュエル3,000個です。

Pokémon GOぐらいの課金ならちょっとやっちゃうかーという気分にもなるけど、カタリナから謎のおっさんまで何が出るからないガチャ300円というのは、ちょっとまだ自制心が働いてしまいます。

で、どこまでやればいいの?

(ここから、致命的ではないと思っていますがネタバレします)

このゲーム、先々の報酬の目標がリスト化された「ミッション」が一種の進行のヒントになっていて、「東の悪しき魔女」とやらを倒せば一段落だなとわかるんですが、倒してもびっくりするほど何も起きませんでした。

ロマサガRSの主人公として「ポルカ」というキャラがいて、彼の妹の「リズ」が何者かにさらわれる。ポルカはこの世界の「塔士」という存在になって、異世界の存在(過去のシリーズのキャラクター)を召喚して戦う、みたいなのがメインストーリーのようですが、リズをさらったらしい魔女を倒しても、びっくりするほと話しにケリが付かず放り出されてしまう。

ソシャゲなんだから「おしまい」にはしたくないとしても、「中締め」みたいなのがあってもよくない? と思うんですが。

一応「東の悪しき魔女」のストーリーは全体で「1章」のようで、今後2章移行が配信になる可能性は高そうです。また「Normal」でクリアしたあと「Hard」「Very Hard」もプレイできるようで、お好きな人はとことんやり込んでね、という仕様になっています。

ちなみに、ガチャの演出(上記スクリーンショット)はそこらの高威力技以上に凝ってます。

個人的にはこの先キャラ強化以外のミッション(報酬)が設定されていないので、またシナリオが追加されるまでは終わりかなと思っています。でもデイリーのミッションだとか毎日1回遊べるガチャとか、細く関係を続けさせる仕掛けがまたいやらしい…。

「ファンなら」という予想どおりの評価

ロマサガRSをやってみた評価としては「ファンならやってみれば?」という感じでしょうか。特別ゲーム性が高いわけでなく、登場するキャラに関しての情報もRS中にはたいしてないので、基本的に過去作をある程度やっていた人が懐かしがりながら遊ぶもの、という想定なんだと思います。

先述したように強い偏見を持って遊び始めましたが、やってる間はかなり前のめりに(睡眠時間削りつつ)進めました。思ったより課金を迫る感じでなく無料でも十分すぎるほどに遊べて、思ったよりも無課金者フレンドリーだなという印象があります。

ただ、ストーリーはブツ切れだし、仕様上しょうがないのかフォローする気がないのかわかりませんが、ガチャで手元に出てないキャラがストーリー中に登場し、重要な役割を果たしたりもします。そうしたところもあって、ほかのシリーズの作品のように楽しく遊んだ、という感じではないなというのが正直なところです。

ここまで書いたのは私の見方ですが、ゲームといえばスマホゲーという世代の感覚はまったく違うのかなあ、という気もしています。

私は初代ロマサガやサガ・フロンティアはクリアーしたらリセットして数十回遊んだ記憶がありますが、スマホゲーではリセットせず永遠に育成し続けるのが基本であり、「なんでゼロに戻すの?」という感覚があるかもしれません。

私は自分の「偏見」を簡単に正すつもりはありませんが、誰かに押し付けたいとは思っていませんし、ほかの人の感想や意見も聞いてみたいと思っています。

とことで、実はパッケージ版の最新作である「サガ・スカーレットグレイス」を私はまだ遊んでいなくて、スマホ版も出ていることを今回知りました。ロマサガRSにお金を使う前に、こちらを買って遊びたいと思います。冬休みにでも。

「ヘテロゲニア リンギスティコ」。理解にかなり頭を使う異世界言語探求マンガ

書店で見かけて、気になって買いました。あまりにも「ダンジョン飯」すぎるカバーデザインだけど、同じKADOKAWAだから大丈夫…なのか??

架空世界の人間の言語学者が、魔界に棲むワーウルフ(人狼)やリザードマン(トカゲ人間)などの言語の調査に向かうというのが、本書のテーマです。異種族の身体的特徴から認知やコミュニケーションの特徴、そして言語の成り立ちなどが設定され、それを探求していくのが興味深い。

モンスターの「食べ物」としての特徴が細かく設定された「ダンジョン飯」と通底するノリを感じますが、世界観の作り込みの緻密さ、深さは、本作「ヘテロゲニア リンギスティコ」の方がかなり果てしなくやってしまっている感じです。例えばワーウルフは息を吸いながら言語を発する、液状の身体を持つスライムは自在に分離・結合でき、その際に記憶や人格が混ざる、などなど…。

とにかく情報量が多いうえに人間界の常識とは異なる事象が次々と起こるため、「ダンジョン飯」の食事シーンのように「うまそう」「まずそう」とかでさらっとは読み流せません。ひとエピソードごとに若き言語学者ハカバ君の体当たりのトライを見て、状況を把握し、理解したうえで「なるほど面白い!」という感想に至る必要があるので、なかなか頭を使うマンガです。

なので、疲れているときにサラッと読める感じではないんですが、脳のふだん使わない場所を刺激したいときには「人狼とクラーケンの商談のしかた」などを本書で読むのも一興かなと思います。

ちなみに本作ではWebでも読めるようです。公開中の10話までが、コミックス1巻にも収録されていました。

「ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~」各話一覧|ヤングエースUP – 無料で漫画が読めるWebコミックサイト

アラフィフにしてボカロを聴き始めた話

この曲を聴いてみてください。ステキだ。惚れ惚れ。

これまで初音ミクやボーカロイドはIT系ニュースとしては見ていたものの、実際に曲を聴いてみようと思ったことがありませんでした。なんでだろう? と改めて考えるに、特に深い理由があったわけではなく、単にそこまで関心を持つことがなかっただけだと思います。

初音ミクが発売されたのが2007年。当時の私は1歳になった子供のオムツ替えに追われ、音楽では同年にドラマとアニメにもなった漫画「のだめカンタービレ」の影響で、クラシックに入れ込んでいました。アニメやNHKの子供番組の歌もいくらか覚えましたね。

しかし、こんなステキコンテンツにもなかなか気付けないものなんだなあ…と改めて思いました。

関心がしぼむと死ぬ話

少し前にTwitterで「育児してると個性が死にがち」というツイートが話題になっていて、ああ、こういうの育児に限らずあるあるだなあと思ったんですが、

「やらねばならないこと」(育児なり仕事なり)に時間も意識も占領され尽くしてしまうと、あるときふと気づいたら何事にも関心が持てなくなっていて、生きている意味がよくわかんなくなっちゃうことがあるんですよね。「個性が死にがち」というのは、面白い表現だなと思いました。

こうなってしまうと他のことに本当に関心が持てなくなってしまうので危険です。意識的に必要ないこと、変わったことをしていくことがだいじ! 歳とると新しいものに興味が向かなくなりがちと聞きますが、その傾向を防ぐためにも大事かもしれません。

セレンディピティとエコーチェンバーの話

ところで、自分が現役でゲームやっていたころにはまったく接点がなかったポケモン(Nintendo 3DSの)を、子供と一緒に遊び始めたのをきっかけに、ここ数年けっこうやり込んでいました。

関連してYouTubeで対戦実況動画を見たりするんですが、上記の「福寿草」を知ったのも、とある実況動画がきっかけでした。勝手にお名前を出すのもあれかもしれないので伏せますが、「ずっと真夜中でいいのに。」というユニットの新曲がいいから聴いてみて、という話があって、その不思議な名前が気になってメモっていました。

この動画を最初に見たときは正直ピンと来なかったんですけど、何度となくYouTubeのホーム画面で「あなたへのおすすめ」として挙がってくるので繰り返し見ていたらだんだん見慣れていい感じになってきました。

そうすると、おすすめ枠に音楽系動画が増えてきて、「福寿草」という曲を最初に知ったのは初音ミクではなく、「まじ娘×愛島」さんの「歌ってみた」動画でした。こちらとてもいい。

そこから作曲者の「ぐにょ」さんで検索して、初音ミクの動画に辿り着きました。

レコメンドって面白くて、また同時に怖いなあと思います。知らないものをこうやって紹介してくれるのは、とても面白い。

ポケモンの対戦実況動画も、誰かの動画を見始めると、共通するファンを持つ(と思われる。または交流がある? いずれにせよ共通するクラスターとして扱われているらしい)複数人の動画がおすすめによく出るようになります。でも、同じポケモン対戦実況者でもクラスターが違うと滅多に出てこないようです。

音楽系の動画も、「ずっと真夜中でいいのに。」と同じクラスターのチャンネルがいくつかあるようで、それらの動画は頻繁におすすめされますが、それ以外にもたくさん存在するのだろう歌い手やらボカロPの動画は、あまり見つけられていない気がします。そして、そのクラスターの飛び越え方がイマイチよくわかりません。

インターネットやSNSはセレンディピティ(偶然のナイスな出会い)をもたらしてくれる、と言う人もいれば、自分と同じ意見ばかりを引き寄せるエコーチェンバー(反響室)であると指摘する人もいます。

最初に紹介した初音ミク「福寿草」に至る発見はセレンディピティと言っていいと思いますが、YouTubeのレコメンドの動きはエコーチェンバー的に見え、サービスの中の人の匙加減でわれわれの情報体験は大きく変えられるんだなと実感した体験でもありました。

そもそもコンテンツの量が多すぎる現代に、気付けない、発見できないことはある程度仕方がないのでしょう。死ぬまでに発見できればいいんだけど、本人側にも流通システムの側にも、ボーッとしていると意外なほど「いつものヤツ」の壁を越えられない構造になっているのかも? という点が気になっています。

「文章を書く」ことのゴール設定の話

文章を書くことに関心がある人、文章の書き方を学びたい人は多いです。ですが具体的にどんな文章を? と考えていくと、かなり方向性の違いが見られ、曖昧なまま語りだすと、混乱を起こしがちだと思います。

「論理国語」か、「文学国語」か?

私は「好きな“書き手”は?」と問われると最初に川端康成が浮かんでしまうんですが、今、川端康成のような文学的な表現力を付けたくて「文章の書き方を学びたい」と言う人は多くないでしょう(明確に「小説を書きたい」「詩を書きたい」という人は、それはそれで)。論理的に説明できるようになりたいとか、仕事での文書作成が苦手なので克服したいとか、そういったゴールを見ている人が多いと思います。

ただ、論理的な文章の書き方と、文学的な書き方は別物ではあっても対立するものではなく、むしろ両輪と言えるものだと捉えたほうがいいでしょう。一時期、高校の国語が「論理国語」と「文学国語」に別れるとかで話題になり、なんだよ文学軽視かみたいな批判も出ていたように記憶していますが、文科省の意図も、分けることで学ぶ際の曖昧さをどうにかしようものだと思われます。

文科省の資料を見ると、論理国語、文学国語と「国語表現」の3教科により「思考力・判断力・表現力等」をそれぞれ別の面から育成しよう、という狙いであるようです。

高等学校学習指導要綱解説 国語編(文部科学省)

こちらも参考まで。国語を教える立場の人やオーソリティと目される人が相手の問題意識や狙いをきちんと調査せず批判を始めているのだとしたら、まさに「論理的に書く力」の不足を露呈しているように思われます。話が逸れました。

高校国語に選択科目「論理国語」登場で物議 「授業から文学が消える」はどこまで本当なのか | キャリコネニュース

現代のビジネスシーンでは論理的な文章の構成・表現力が重要になる場面が大半ですが、実用書・ビジネス書・自己啓発書の類で物語仕立てになっているものも多く、論理的に書けるだけでなく、文学的な面の文章力もある(「おもしろい」お話が書ける、共感されるストーリーテリングができる)ことは、確実に仕事の幅を広げます。

「読者との距離」の意識

あなたがやりたい「文章を書く」は具体的にどんなことですか? と問うとき、もっとも重要なのが文章を読んでほしい相手(読者像)の想定、ビジネス風に言えばターゲット設定であろうと考えています。文章の読まれ方は多様化しました、文章を発表できる場が増えたという捉え方もできるかもしれません。

わかる人にはわかる文章を書いて楽しめればいいのか、前提知識が乏しい人に大きな何かの全体像を大過なく伝えたいのか、専門家向けに高度な専門知識を正確に伝える必要があるのか、はたまた現時点で興味のない人にいくらかでも関心を持ってほしいのか。想定する読者像によって適切な書き方は大きく変わってきます。

会社の部署内で伝わればいい文章ならばかなり前提を省けるけど、社長や経営陣にも読ませるならば説得力を高めるデータやら構成やらの練り込みが必要になりします。入門書と専門家向けの書籍でも求められる書き方がまったく異なりますし、とりあえずバズって燃やせばいいWeb記事と強度のある検証や批判記事を書くのもぜんぜん違います。

誰にどういうことを伝えて何をしたいのか、明確なイメージを持つことにより読者との距離感をはかり、それに向けた適切な書き方を選べる。そして、選んだ書き方が実際にできるのが、お金になる「文章を書く」スキルなんでしょう。

Web文章術講座が「まず結論から書け」と言う理由

多くの文章の書き方講座、特にWeb用の書き方の解説では、初級編の最重要ポイントぐらいの位置づけで「まず結論(いちばん伝えたいこと、大事なこと)から書け」と述べているはずです。

読者を逃がさない+わかりやすい

この理由は2つあります。1つは「読者を逃がさないため」。Webでは無数のコンテンツが読者の時間を奪い合います。その中で、まず読んでもらわなければ何も始まらない。だから一番おいしいところを頭に持ってくるべきだ、という理論です。

もう1つは「読みやすく理解しやすい文章とするため」。最初に結論を置き、次いで各論に入っていく構造は、読者が細かな文章単位で納得しながら読み進められ、わかりやすくなります。これは前の記事で取り上げた「考える技術・書く技術」で述べている「ピラミッド原則」にも通じます。

「いちばん伝えたいこと」を頂点とする構造

ピラミッド原則とは、いちばん伝えたい重要なことを最初に、次にそれを支える「なぜなら」や「例えば」を配置していく文書構造のルールです。「考える技術・書く技術」の冒頭で、このルールは「自分の考えをわかりやすく伝えることを目的とする文章すべてに適応可能」であるとし、日本の多くの小学生が(たぶん今でも)最初にやらされるであろう時系列の作文と対比してみせ、何が言いたいのか誤解なく読み取りやすいことを示します。

前の記事では「考える技術・書く技術」が「難しい」と述べましたが、言っていることのキモは、シンプルで普遍的です。ただ、こういう文章の組み立て方に「ピラミッド原則」という名前を付けているのは、本書で初めて見ました。

本書の序文によれば、著者のバーバラ・ミント氏が自身の理論を最初に出版したのは1973年。氏の理論は広く普及してあらゆる場所で使われているとも言えます。また、世にある文章術の元祖みたいな感覚で「考える技術・書く技術」を読むのも面白いなと思います。

「考える技術・書く技術」感想

「文章術」本を読んだよシリーズで今回取り上げるのは、「新版 考える技術・書く技術」(バーバラ・ミント)。私は「ロジカルシンキング」の何たるか(誰が提唱し、どう広められ、定着してきた言葉なのか?)をちゃんと理解できている自信がありませんが、本書はコンサルタントおよびビジネス文書作成に携わる多くの人のための、考え方のルーツが書かれたものだと認識しています。

この本は確かに難しい

Amazonを見ると、本書を「難しい」というレビューがとても多いです。これはおそらく、それだけ本書に「挑む」人が多いことの証拠でしょう。と同時に、本書はマジ難しいですね。

本文がハイペースかつ高密度なので、非常に脳の頑張りを要求します。図解や例文が随所に付いた丁寧な編集がなされ、おそらくは「わかりやすさ」への配慮がけっこう行われているのだけど、コンサルの実務向けというレベルを妥協していないためか、例文がガチすぎて、例文を読むだけで疲れる(笑)。たらっと通読しただけでは、ぜんぜん分かった気になれませんでした。

おそらく本書は、日々実務にあたりながら少しずつ、繰り返し読むことで、徐々に理解が深まり血肉になっていくタイプの本ではないかなと思います。今どきの編集・デザイン技術によって「わかりやすさ」重視で作り込まれた本と、20世紀の本では素材の煮込み方が全然違う(硬い!)。

私が読んでいて、実務で日々取り組む第1部「書く技術」はけっこう理解できた感覚がありました。が、第2部「考える技術」は数ページ読むごとに疲れて手が止まりました。第3部「問題解決の技術」はボリュームが少な目だし前2部を前提に読めばそこまで難しくはないかなという感触。いずれにしても、読んで実践してまた読んで考える、というサイクルが必要なのかなと感じます。

あえて真正面から本書に挑まず、本書を部分的に取り出して噛み砕いたような本を見ながら、練習していくのもありかもしれません。具体的にどの本…というのは今のところ探していないので挙げられませんが。

「言葉にできる」は武器になる(フンワリとした感想)

最近、目についた「文章術」の本を何冊か読んでいました。この手の本は、だいたい以下の3種類に分類できるようです。

1.ロジカルシンキング&ライティング
データの整理や分析に必要になる、論理的な思考と記述のフレームワーク。マーケターやアナリスト向け。

2.クリエイティブ
ロジックだけでは到達できないアイデアを生み出すためのノウハウと表現術。コピーライターや広告宣伝担当者、プランナーなど向け。

3.文章の表現術、Tips
「思考」のレベルには深入りせず、伝えるべき内容が既にある場合の読みやすさや正確さを重視した文章表現のハウツー。記者やブロガー向け。

一度見たら忘れられないタイトルがいい。クリエイティブのための丁寧な解説書

まず取り上げる梅田悟司氏の「『言葉にできる』は武器になる」は、上記の分類でいうと2番目です。仕事の文書作成で悩む人に直接答えを教えるような内容ではないけれど、自分の言葉が伝えたいことをうまく表現できていない気がする、自分の内面にあるものをもっとうまく伝えたい、相手の心に響かせたい、という人向けです。

本書の朴訥で力強い書名は一度目にしたら忘れられず、とても気になっていました。「武器」うんぬん言って思考メソッドを売る本は瀧本哲史氏のシリーズはじめいろいろと出ていますが、本書の「武器になる」のニュアンスはほかの本ほどトゲトゲしていた感じではない、ちょっと丸っこい感じがします。

外に向かう言葉を生み出すには『内なる言葉』を磨く必要がる」というテーマのもと、本書では内なる言葉の「解像度を上げる」思考術と、「外に向かう言葉」としての表現術が、具体的な手法として解説されます。

思考術の基本は、頭の中にあるものを「紙に書き出し」て「寝かせる」というもの。本書も大筋では古今東西の発想術や思考術本が言っていることと変わらず、これが王道なんだなという印象です。

そのうえで本書の特徴的な点は、「書いて寝かせる」だけでなくロジカルシンキングの手法も取り入れつつ、もう少し具体的なやり方を加えている点です。私が記憶している限り「書いて寝かせろ。そのうち発酵して何か出てくる」と書いている本がそれ以上の具体的な手法にまで踏み込む例は少なく、クリエイティブな思考術や発想を身に付けたい読者に優しいです。

また、本書の「内なる言葉の解像度を上げる」という表現が秀逸です。発想術みたいなものだと「アイデアが出る/出ない」で結果はゼロかイチかとなってしまいがちですが、アイデアが降ってくる前の段階、何かの兆候が見え…そうだぐらいの段階も「解像度が上がった」と言えるでしょうし、段階的な進化を自覚しながら発想の過程に取り組んでいけるでしょう、たぶん。

本書で最初に出てくる「書き出した言葉」の例は、やや心配になるほどに俗で、捻りがありません。例えば「同期で一番になる」とか「英語やらなきゃ」とか。でも、これを整理し、著者が「T字型思考法」と名付けた手法を用いて自分に問いかけ、寝かせて客観視することで、内なる言葉の解像度が上っていくと言います。

ただ、上記の例のような俗な言葉たちがどう磨かれていくのか、そのあとの例に繋がってないところはちょっと不満に感じました。その後の具体的に言葉にする段階では、もうかなり上手い表現が例として出てくるんですけど、「同期で一番になる」レベルの煩悩から解像度をどれくらい上げていけばいいのか、ちょっと具体的なイメージが掴めませんでした。

借り物の言葉ばかりじゃつまらない、という人に

本書の最後で、著者は執筆の動機を次のように書いています。周囲の多くの若い仲間たちは若いからといって考えが浅いということはないが、考えることを言語化できず、歯がゆさを感じている様子が見て取れる、と。

今の世の中、SNSには紋切り型の表現が溢れており、無用な摩擦を回避しうわべだけの共感や同調を示すには、それら借り物の言葉が便利です。しかし、それだけでは満たされないと感じる人が多いのでしょう。本書はかなり売れていると思いますが、内なる言葉と向き合いたい、思いや考えをもっとうまく伝えたいと考える人がそれだけ多いのであれば、頼もしいことだと思います。

ブログ引っ越し(?)にあたって

東日本震災の後ぐらいから、育児と仕事の多忙さから「人付き合い」とか「余裕」みたいなものがナシな状況が続いていました。当然ながらブログもそれどころでなく、すっかり開店休業状態に。

このままだといろいろマズいなと危機感を持つ出来事があり、無理やり息子とポケモンをやる気持ちのスペースを確保するようにしたのが2、3年前。それも息子が小学校を卒業したら一緒に遊ぶ感じでもないし、仕切り直して何か書く場が欲しいなと思いつつ、しばらく始める気になれませんでした。

仕事で、経営者や特定業種の専門家の方々と本を作らせていただくことがあります。そうしたときに思うのが、情報を書籍としてまとめていくライティングスキルは、なかなかのレアスキルだなあ…と。とはいえ、そもそも出版業界はご存じのように斜陽であり、成り手がいない、という意味でもレアだよねという面もあります。

そんなことを思いつつ、これまで書く気になれなかった、ライティングや編集についてのブログ、みたいなことをやってみようかなあとも考えたのですが、やっぱりどうも気が乗らなくて、やめました。

目指すゴールによって「書く」の意味合いもやるべきことも、ぜんぜん違ってきますよね。例えば、書籍を書きたいのか企画書や提案書などビジネス文書をうまく作りたいのか、SNSで人気者になりたいのか? それとも、今風のWebライターみたいな仕事で稼ぎたいのか?

私の思いとしては、モバイルSNSの時代に「仲間を作る」ための文章術、みたいなものが面白いんじゃないかなあと思うんですが、何それニッチすぎない? とも思ったり、また自分もそんなの熱心に実践してるわけでもなしな、と思ったりもして。

とか無駄にぐるぐる考えていると永遠に何も始まらないので、とにかく書き始めてみることにします。そんな感じのやつを。