「ロマンシングサガ リ・ユニバース」をアンインストールした話

リリース日から1カ月ほど遊んで、「ロマンシングサガ リ・ユニバース」(ロマサガRS)をアンインストールしました。

インストールしたとき:
ロマサガがスマホゲーになってしまった。「ロマンシグサガ リ・ユニバース」レビュー | 小林ブログ(仮)

直近のイベントで、こんなのがありました。書いている時点では現在進行形ですが。

  • クエストをクリアすると、稀に宝の地図が手にはいる(体感1%以下。もしくは50%ぐらいで手に入る地図を50貯める)
  • 宝の地図を持ってダンジョンに入ると、稀にガチャチケットがドロップする(ドロップ率は謎だが、3回試行してゼロ)
  • ガチャチケットでガチャが引ける(SSレアの排出率は5%のはず)

まあ、3重のくじ引きみたいなもんですね。

これが面白いと感じられる心理状態もあるだろうけど、今の自分にはスマホの演算&通信能力の無駄遣いとしか感じられず、また、このゲームで今後何か面白いことが起きる可能性も見えなくなってしまいました。残念。

と思っていたら、カムバックボーナスが豪華という噂が聞こえてきたぞ…!?

正月休みに買ったスマホアプリ版のロマサガ2は面白かったです。私にとってゲームは「ハレ」のものであり、遊びたい作品が出たら買ってきて集中的に遊び、パッとやめるスタイルが合っていて、日常の習慣化が要求されるスマホゲーはなかなか合わないのかなあ。

世界はなぜ「良くなっている」と言えるのか?―「ファクトフルネス」書評

尊敬する何人もの著者の方々が原稿中で名前を挙げ、言及してきたハンス・ロスリング氏の著書が出たと聞いて、読みました。

ハンス・ロスリング氏は医師であり公衆衛生学者であり、TEDの人気スピーカーとしてもよく知られています。

人間は、思い込みや偏見を持って世の中を見がちだ(これを本書では「ドラマチックすぎる世界の見方」と呼ぶ)。思い込みや偏見を排し、事実(データ)に基づいて世界を見る習慣――これを本書では「ファクトフルネス」と呼ぶ――を身に付けよう、と説く内容です。

ハンス・ロスリング氏も「思い込み」にとらわれていた

スウェーデンとインドで学んだロスリング氏は、アフリカのモザンビークで医師としてキャリアをスタートしたそうです。氏が未開の地で謎の症状を呈する病気の流行に悩んだり、西洋人である自らに根付いていた偏見に気付かされたり、といった体験談から、本書を構成する10の「思い込み」の章はすべて始まります。

「思い込みを捨てよ。データを通して世界を見よ」と説く本である、という概要は購入前に聞いていましたが、本書を開く前には少々不安がありました。データの重要さ、科学的視点の大切さを説く人の中には、なんか妙にバカに冷たい人がいるんですよね。

原発事故のあと、他人の不安感情に取り合わず、事実や正論なのだろう数字絡みの話に終始するだけの人を、しばしばTwitterなどで見かけました。それじゃあ事実をもってしても人を説得するのは難しいよなと思うわけです。そこまで冷淡でないまでも、事実の前にある感情のギャップをどう捉えていくのかなと。

その点において、本書は周到にできています。まず、著者自身の失敗談から入ることで、思い込みは誰にでもあるのだと著者の人生をもって示しています。ときには自らの誤りから人の命を失わせてしまった(氏が正しく判断できた場合に救えたかといえば、そうとも限らない気もしますが)エピソードまであり、これ以上ない重さがあります。

失敗例は自身や自らが教えた学生、または講演した西洋のエリートたちから取る一方、いい例には著者が接したアフリカやアジアの人々を多く挙げる事例の選択は、ある程度意識的にされているのだろうと思います。

ロスリング氏はアフリカで多くを学び、目の前の1人の重症患者の治療に集中するよりも環境を整える公衆衛生学的な視点が、より多くの人を救うことにつながると確信します。データを重視する姿勢や、その後の「人々は驚くほど世界の事実を知らない」という発見、そして生涯をかけた世界の無知を正す活動につながっていきます。

本書は「データが大事」と説く内容ですが、こうしたロスリング氏のストーリー、つまりエモーショナルな要素が、その主張に強い説得力を与えていると感じます。

「悪い」と「良くなっている」は両立する

本書の前半に、何度も「世界は良くなっている」というフレーズが使われます。私は、この言葉に反発しながら読んでいました。世界は全体的には少しずつ豊かになっているかもしれないが、豊かになればなったで新しい問題が生まれる。単純に「良くなっている」と言えるのか? と。

しかし、氏はこうも言っています。「世界のいまを理解するには、『悪い』と『良くなっている』が両立することを忘れないようにしよう。」(P.90)と。

世界は少しずつ物質的・経済的に豊かになり、氏が専門とする公衆衛生の面でも確かに改善が続いています。でも何もかもが順調であり問題がないという意味で「良くなっている」と言っているわけではないし、後の章では地球温暖化に対する深い懸念も示されています。

とはいえ、著者が設定した点において「良くなっている」ことは事実であり、今ある問題も解決は可能であると氏は考えている。「悪い」と「良くなっている」は両立する。むやみに悲観せず、いい面だけ見て慢心することもなく、取り組みを続けていくことが必要だ―。

言われてみれば多くの人が同意できることだと思いますが、単純な話ではないので、こうした意識を共有する機会は意外と少ないと思います。本書でもこの話に至るまでに100ページ近くを要しているところに、あらためて難しさを感じもしました。

とはいえ、この、なかなか一言では表しにくい認識を共有することが、本書のいちばん大事なポイントではないかと感じました。

世界はすべてつながって、人に備わっている認知能力だけではすべてを把握しきれない。また、古来からある本能が広すぎる世界や速すぎる動きの理解を阻んでしまうこともある。だからこそ認知の助けとしてデータを活用し、「正しく」捉える必要がある。それを常識とし、トレンドとしていくことが、まず大切なのだと思います。

「有益なゲーム」は存在するか?

ゲームデザイナー・ゲーム研究者のジェイン・マクゴニガル氏は、ゲームを非常に前向きにとらえています。いわく、ゲームにおいて人々は前向きに大きな目標に向けて取り組み、工夫し協力して、目標を達成する力を持てるようになる、と。

彼女は自身が脳震盪からうつ病になってしまったとき、自らの開発したゲーム「スーパーベター」を利用して克服したそうです。著書 「スーパーベターになろう!」にて、 その体験をもとにゲームを使って自分をよりよくする方法を説いています。

TEDの複数の公演が動画として公開されているので、彼女の考えを知るには、これらを見るのが手っ取り早いでしょう。

さて、まだ「ロマンシングサガ リ・ユニバース」を続けているんですが、こういうスマホゲーム、いわゆるソシャゲ、ガチャゲーの類はジェイン・マクゴニガル氏が言うようなゲームのポジティブで有益な面を持っているのかなあ? と思いながらプレイしていました。

参照:
ロマサガがスマホゲーになってしまった。「ロマンシグサガ リ・ユニバース」レビュー | 小林ブログ

ガチャゲーではスーパーベターになれない?

ソシャゲのガチャって、ユーザー側にはなんの工夫も必要なく、また工夫したくてもできる余地がなく、口を開けてボタモチが落ちてくるのを待つだけのものじゃないですか。そう考えると、明らかにマクゴニガル氏が言う「ゲーム」とは別物に思えます。

Twitterでツイートを追っていると、ガチャの出がよくて喜ぶ人、悪くてキレる人、怒りの追い課金(予定外の出費)をする人、引退を宣言する人などがいます。ゲーム本編ではないのに、本編のストーリーや演出よりも圧倒的に大きくプレイヤーの感情を揺さぶるシステムが付いたこれは何なんだろう? とか思ってしまうわけです。

しかし見方をちょっと変えてみると、ガチャはガチャとして希望のキャラが出ないなりに、無課金なりに淡々と遊んでいる人も多いようです。というか、当たり前にそこがサイレントマジョリティなんですね。

まるで、かのスヌーピーの名言「配られたカードで勝負するしかないのさ」を地で行くような(?)。考えてみれば、すべてのことはプレイフルに取り組もうとすれば取り組めるものであり、「ロマンシングサガ リ・ユニバース」にもゲーム攻略のため工夫を要する要素やら、運営から課されるミッションを上手い具合にクリアーするため知恵を絞る必要性やらはあります。

楽しめればそれでいい、のだが…

マクゴニガル氏がイメージしているほどのいい体験はできないかもしれないけれど、まったくのムダ、無益、害悪とも言い切れない。ゲームに対して有益か否かを考えるのがナンセンスだな、ということでこの件は片づけました。遊びはそれ自体が無益でも、人生を楽しくしてくれるならそれでいい。

それにしても、ソシャゲはいろいろ拘束がキツくて、自分のペースで遊べない感じがあります。一方で、遊び方が他人任せで、運営への依存心を強め過ぎるのではないか、という感じもあります。このあたりはまた改めて。

まず大きな、よく転がる石から入れろ

最初にどこで見たのか忘れてしまいましたが、有名なこんな話。

コップの中に、大きな石、中くらいの石、小さな石を入れていきます。小さな石から順に入れていくと、すぐに大きな石は入れられなくなってしまいます。しかし大きな石を最初に入れれば、隙間に中くらいの石、さらにその隙間に小さな石と、大小の石を入れることが可能です。

これが何を意味するか? 大きな石とは私たちの人生で本当に大切なこと、小さな石とはスマホゲーやら暇つぶしの呑みやら、あまり重要でないことだと見立てられます。どうでもいいことで人生を埋めていると、いつのまにか本当に大切なことに向き合う時間がなくなってしまう。

「大きな石」とは、学問や仕事に限らず、大切な人のための時間や趣味の時間など、自分にとっていちばん大事なものが相当するようです。が、あらためて考えてみると、いちばん大事なものって何だ…?

2018年までの数年間、それは息子と共有する時間だと考えていました。が、息子も中学生になる今年からは、ちょっと考え方を変えるべきだなと思っています。

となると、はて…と少々迷っているのが正直なところですが、それ自体で完結するのでなく、よく転がって、新しい何かにつながりそうなものを選びたいなと。ここ何年かやってきたポケモンは本当によく転がって楽しかったですかね(過去形で書いたけど今年ピタッとやめるわけではありません)。

そう思いつつ、初詣はポケモンセンターと近所の神社でした。

「痴的生活」を設計しよう

知的生活の設計」。著者の堀正岳さんよりご恵贈いただきました。それにしても「知的生活」ってなんか凄くないですか。いやいや私ごときが知的生活なんて…。

「知的生活」の字面にビビらなくもていい

いやまあ実際のところ、本書は特別に高尚だったり難解だったりはしませんし、「知的」が指すところも、多くの人がパッと思い浮かべるほどハードコアなものではありません。

本書の冒頭に、こういう一節があります。

しかし実際には、現代の情報社会でおよそ「知的生活」的なものにまったく触れずに生きている人はほとんどいません。あなたは本や漫画を読まれるでしょうか? アニメを楽しんだり、音楽や映画を楽しんだりするでしょうか? 趣味のために時折財布に痛い出費をしたり、遠くまで旅をしたりするでしょうか?
そのすべてが「知的生活」の芽を含んでいるといっていいのです。

「知的生活の設計」P.10より

現代は日々山のような情報が生み出され、あらゆることが急速に変化しています。仕事に関係することはもちろん、趣味のことだって。

だから、それなりの情熱を持って追いかけていないと、すぐに取り残されてしまいます。以前は興味を持って見ていたジャンルが、育児、仕事、病気等々で少し離れていた間に大きく変わってしまっていた、といった経験は多くの人がしているでしょう

そういう状態を嘆くのでなく、速い情報の流れに置いていかれないよう日々自分の「知」をアップデートし、インプットするだけでなくアウトプットもこなして時代の波を乗りこなそう。そうじゃないと、現代に生きているのにもったいないよね? というのが、本書の趣旨であると私は理解しました。

「痴的」な生活も設計できる

で、以前にも紹介したこの話なんですが、

「知的生活」ならぬ「痴的生活」。この「痴」はエロい意味ではなく「何かに夢中になる、耽溺する」といった意味ですが、そういう生活を手放さないことを意識してやっていこう、という読み方もありだなと思いました。

そのように捉えると、本書は「痴」的な生活を切らさないための物理的スペースや時間の作り方、活動費用の確保の仕方、情報発信で痴的フィードバックを得て活動を強くする方法、などのテクニック集として読むことができます。

今まさに忙しくて趣味を失いそうな人が読む…にはちょっと硬いかもしれませんが、多忙に心を奪われ視野が狭くなっていても、本書は強気に10年後を見据えた提案をガンガンかましてくれます。

ゆるい情報でガス抜きするばかりでなく、こういう知恵を少しずつ消化していくことも欠かせないかな、と思います。

2019年の目標とか考えらんねーわ、というぐらい参っている方に、逆におすすめしたい本です。HOWを伝えるこの本のほかに、気持ちに火をつける何かも要るかもしれませんが。

ロマサガがスマホゲーになってしまった。「ロマンシグサガ リ・ユニバース」レビュー

全国のロマサガ愛好家の皆さんこんにちは。スマホゲーム「ロマンシングサガ リ・ユニバース」が、2018年12月6日より配信になりましたね。

私は初代ロマサガ以来のファンであり、もう息子とポケモンという感じでもない(息子の年齢的に)し何のゲームが一番好きか? と問われたらロマサガシリーズと答えていいなと思うぐらいの愛好家なんですが、スマホ版登場の知らせを聞いて、やや複雑な気持ちながら心待ちにしていました。

SS確定リリース記念ガチャは回していませんが、とりあえず一区切りといってよさそうなあたりまで遊んだので、レビューを書きたいと思います。

このレビューの前提

私はいわゆるソシャゲ、スマホゲーの類に強い拒否感を持っています。多くのスマホゲーはガチャ等で気持ちいい要素を小出しにしてユーザーに気を持たせ続け、習慣化させ、中毒になったユーザーから時間と金を毟り取り続けます。

ユーザーをどれだけ「やめられない」状態にして囲い込み、刹那的な快楽と引き換えにして金を使わせ続けられるかがビジネスとしての成否を分けるなんてダメでしょう。タイトルに愛があるならパチンコとソシャゲに出したら終わりだね、という「偏見」を持っています。

が、実際ロマサガがスマホゲーになっちゃうならしょうがない、いっちょ病んでみるか、ということで、始めてみました。そういう偏った視点からのレビューであることにご留意ください。

胸がたいへんに立派!

さて、アプリを起動して簡単なチュートリアルを終えると無料ガチャタイムとなるんですが、チュートリアルとガチャを通して気になるのが、キャラの「胸」です。どうもカタリナ(ロマサガ3)がイチオシらしく、あちこちの画面に出てくるんですが…。迫力あるな。

せっかくのスマホゲーなのでこの絵のカタリナが出るまでリセマラなるものをやってみようと挑んだところ、3回目で出ました。その後別の端末で10回ぐらい引いてみたけどいっさい出ないので、わりとラッキーだった気がします。

本作ではキャラに3段階のレアリティ(SS、S、A)が設定されていて、同じキャラでもレアリティ違いのものを「スタイル」と呼んでおり、絵も違います。上のカタリナはSSスタイル。

露出度低めだが胸が強く存在を主張しているSスタイルはこちら。カタリナのAは存在しないようです。

スマホゲーといえばきわどい格好の女性キャラ、が定番でありガチャを回すモチベーションのひとつなんでしょうし、わりと他のゲームの絵を見るに、原作の世界観も意識して露出抑え目なのかなという気はしますが、そうかあ、商売って大変だよねみたいな感慨はありますね。単にイラストレーターさんの好みかもしれませんが。

小林智美イラストもある!

ロマサガシリーズのキャラクターデザインを手掛けている小林智美さんのイラストを使ったものもあります。こちらはバーバラ(ロマサガ)のSS。

ただ、今の高精細なモニターで、それ前提に書き込まれたイラストと見比べると、絵によっては粗いなあと感じられてしまいます。もともとそういう画風ではありますが。

ロマサガ的なツボを押さえた演出

冒頭のチュートリアルは軽くさわり程度で、やたら情報密度が高い画面の細部はよくわからないままロマサガRSの世界に放り出されます(しかし、なんで「リ・ユニバース」の略が「RS」なんだろう?)が、序盤はまだ敵がそこまで強くないので、よくわからないところは適当なままでも何とかなります。

そして、陣形だとか戦闘中に「ピコーン」と技をひらめくところとか、ときに無茶な名前になる連携技とか、実にロマサガシリーズらしい演出がしっかり入っているところは、オールドファンに嬉しいところですね。

ただ、本作では1キャラが3つまでしか技を覚えないので、1キャラあたり3回しか閃く機会がありません。

あと、戦闘終了時の「○○がアップ!」もあります。シンプルに懐かしくて楽しい。

スタミナ減らない! やること多い!

スマホゲーは、行動するごとに減少し時間によってゆるやかに回復して、課金で速回復できる「スタミナ」制を取るものが多いと思います。本作ロマサガRSもそのようになっているのですが、序盤は特に、驚くほどスタミナが減りません

たぶん回復ペースがそこそこ早いうえ、プレイヤーのレベルが上がるとプレイヤーレベルと同じ数値分回復するシステムになっています。しかもストーリーを追って進めていくとだいたいスタミナが尽きる手前ぐらいでプレイヤーレベルが上がって回復する、を繰り返す調整になっているようです。

なので、うまいことやっていればスタミナ切れが起こらず、無課金で延々と遊べます。というか、やめ時がよくわからなくなります。

しかし、序盤の壁みたいな急に強くなる敵ボスがいて、普通に進めていると、この「ヤミー」の手前で1回詰まると思います。

ヤミーのあたりが、1回目の我に返りポイントかもしれません。このゲーム、何かストーリーは一応あるみたいなんですが、基本的に「強いキャラを育てて強い敵を倒すとさらに強い敵が出てくるからもっと強いキャラを育てる」を永遠に続けることが目的なゲームな気がします。

で、対ヤミーに関しては、それまでよくわからないからと適当にしていた武器や防具選びとか、強化とか、デイリーイベントによる地道な訓練なんかをやっていくことで倒せるようになります。

このあたりの細々とした育成作業をやりだすとまた時間がかかります。そして、細々としたミッション(実績)に対していちいち少額の報酬が設定されているので、それを毎回受け取る作業も発生します。内職的な楽しさはあるんですが、うーん、これを延々としたくてやっているわけでは…という感じ。

ガチャ(プレイヤーの努力と相関しないランダムな報酬)とスタミナ制度(日常生活にゲームを食い込ませる)、そして細分化した報酬設定(細かく達成感を感じさせる)がこの手のゲームの基本システムだと思います。人間が気持ちよくなり、習慣化し、依存性を高めて結果的に有料プレイヤーに育つ仕組みを研究し尽くした結果のこれなんだろうと思います。

プレイヤーとしては「手口はわかってるんだけど脳が気持ちよくなるのには逆らい難い」みたいな感じ。もっとこう、2、3日徹夜で集中的にプレイしてやり切ったー! みたいな遊び方をしたいんだけど、そういうゲームはサブスクリプション(定期購入ではないが、継続的関係の中での課金を狙う)型じゃ成立しにくいだろうなあ。

中盤に入ると課金の誘惑を感じる

序盤の強敵であるヤミーを倒して中盤に入ると、それまでよりも攻略ペースが遅くなってきます。

敵が強くなるので、ゆっくり育成しながら進む必要があり、そうするとスタミナが切れがちになる。進行が遅くなるとジュエル(ガチャ等に必要な資源)の集まるペースも遅くなり、ガチャの頻度が落ちる。でも戦力不足を強く感じるのもこの頃で、いいキャラをもっと出したい…。

じゃあ課金するか? という気分になりがちなんですが、このあたり、うまくプレイヤー心理をくすぐってきますね。最初に気持ちいいことをやらせて、もっと気持ちよくなりたい! というところでちょっとずつ距離を取るようにすると、相手は追いかけたくなる、みたいな。

ただ、ガチャの頻度が落ちるとはいってもかなりスタミナの補充ペースは速く、稼ぎの計画を間違わなければ、やっぱりかなりやめ時が見えない感じになってくると思います。

ちなみに有償ジュエルの相場は1個=1円が基本となる模様。10連ガチャはジュエル3,000個です。

Pokémon GOぐらいの課金ならちょっとやっちゃうかーという気分にもなるけど、カタリナから謎のおっさんまで何が出るからないガチャ300円というのは、ちょっとまだ自制心が働いてしまいます。

で、どこまでやればいいの?

(ここから、致命的ではないと思っていますがネタバレします)

このゲーム、先々の報酬の目標がリスト化された「ミッション」が一種の進行のヒントになっていて、「東の悪しき魔女」とやらを倒せば一段落だなとわかるんですが、倒してもびっくりするほど何も起きませんでした。

ロマサガRSの主人公として「ポルカ」というキャラがいて、彼の妹の「リズ」が何者かにさらわれる。ポルカはこの世界の「塔士」という存在になって、異世界の存在(過去のシリーズのキャラクター)を召喚して戦う、みたいなのがメインストーリーのようですが、リズをさらったらしい魔女を倒しても、びっくりするほと話しにケリが付かず放り出されてしまう。

ソシャゲなんだから「おしまい」にはしたくないとしても、「中締め」みたいなのがあってもよくない? と思うんですが。

一応「東の悪しき魔女」のストーリーは全体で「1章」のようで、今後2章移行が配信になる可能性は高そうです。また「Normal」でクリアしたあと「Hard」「Very Hard」もプレイできるようで、お好きな人はとことんやり込んでね、という仕様になっています。

ちなみに、ガチャの演出(上記スクリーンショット)はそこらの高威力技以上に凝ってます。

個人的にはこの先キャラ強化以外のミッション(報酬)が設定されていないので、またシナリオが追加されるまでは終わりかなと思っています。でもデイリーのミッションだとか毎日1回遊べるガチャとか、細く関係を続けさせる仕掛けがまたいやらしい…。

「ファンなら」という予想どおりの評価

ロマサガRSをやってみた評価としては「ファンならやってみれば?」という感じでしょうか。特別ゲーム性が高いわけでなく、登場するキャラに関しての情報もRS中にはたいしてないので、基本的に過去作をある程度やっていた人が懐かしがりながら遊ぶもの、という想定なんだと思います。

先述したように強い偏見を持って遊び始めましたが、やってる間はかなり前のめりに(睡眠時間削りつつ)進めました。思ったより課金を迫る感じでなく無料でも十分すぎるほどに遊べて、思ったよりも無課金者フレンドリーだなという印象があります。

ただ、ストーリーはブツ切れだし、仕様上しょうがないのかフォローする気がないのかわかりませんが、ガチャで手元に出てないキャラがストーリー中に登場し、重要な役割を果たしたりもします。そうしたところもあって、ほかのシリーズの作品のように楽しく遊んだ、という感じではないなというのが正直なところです。

ここまで書いたのは私の見方ですが、ゲームといえばスマホゲーという世代の感覚はまったく違うのかなあ、という気もしています。

私は初代ロマサガやサガ・フロンティアはクリアーしたらリセットして数十回遊んだ記憶がありますが、スマホゲーではリセットせず永遠に育成し続けるのが基本であり、「なんでゼロに戻すの?」という感覚があるかもしれません。

私は自分の「偏見」を簡単に正すつもりはありませんが、誰かに押し付けたいとは思っていませんし、ほかの人の感想や意見も聞いてみたいと思っています。

とことで、実はパッケージ版の最新作である「サガ・スカーレットグレイス」を私はまだ遊んでいなくて、スマホ版も出ていることを今回知りました。ロマサガRSにお金を使う前に、こちらを買って遊びたいと思います。冬休みにでも。

「ヘテロゲニア リンギスティコ」。理解にかなり頭を使う異世界言語探求マンガ

書店で見かけて、気になって買いました。あまりにも「ダンジョン飯」すぎるカバーデザインだけど、同じKADOKAWAだから大丈夫…なのか??

架空世界の人間の言語学者が、魔界に棲むワーウルフ(人狼)やリザードマン(トカゲ人間)などの言語の調査に向かうというのが、本書のテーマです。異種族の身体的特徴から認知やコミュニケーションの特徴、そして言語の成り立ちなどが設定され、それを探求していくのが興味深い。

モンスターの「食べ物」としての特徴が細かく設定された「ダンジョン飯」と通底するノリを感じますが、世界観の作り込みの緻密さ、深さは、本作「ヘテロゲニア リンギスティコ」の方がかなり果てしなくやってしまっている感じです。例えばワーウルフは息を吸いながら言語を発する、液状の身体を持つスライムは自在に分離・結合でき、その際に記憶や人格が混ざる、などなど…。

とにかく情報量が多いうえに人間界の常識とは異なる事象が次々と起こるため、「ダンジョン飯」の食事シーンのように「うまそう」「まずそう」とかでさらっとは読み流せません。ひとエピソードごとに若き言語学者ハカバ君の体当たりのトライを見て、状況を把握し、理解したうえで「なるほど面白い!」という感想に至る必要があるので、なかなか頭を使うマンガです。

なので、疲れているときにサラッと読める感じではないんですが、脳のふだん使わない場所を刺激したいときには「人狼とクラーケンの商談のしかた」などを本書で読むのも一興かなと思います。

ちなみに本作ではWebでも読めるようです。公開中の10話までが、コミックス1巻にも収録されていました。

「ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~」各話一覧|ヤングエースUP – 無料で漫画が読めるWebコミックサイト

アラフィフにしてボカロを聴き始めた話

この曲を聴いてみてください。ステキだ。惚れ惚れ。

これまで初音ミクやボーカロイドはIT系ニュースとしては見ていたものの、実際に曲を聴いてみようと思ったことがありませんでした。なんでだろう? と改めて考えるに、特に深い理由があったわけではなく、単にそこまで関心を持つことがなかっただけだと思います。

初音ミクが発売されたのが2007年。当時の私は1歳になった子供のオムツ替えに追われ、音楽では同年にドラマとアニメにもなった漫画「のだめカンタービレ」の影響で、クラシックに入れ込んでいました。アニメやNHKの子供番組の歌もいくらか覚えましたね。

しかし、こんなステキコンテンツにもなかなか気付けないものなんだなあ…と改めて思いました。

関心がしぼむと死ぬ話

少し前にTwitterで「育児してると個性が死にがち」というツイートが話題になっていて、ああ、こういうの育児に限らずあるあるだなあと思ったんですが、

「やらねばならないこと」(育児なり仕事なり)に時間も意識も占領され尽くしてしまうと、あるときふと気づいたら何事にも関心が持てなくなっていて、生きている意味がよくわかんなくなっちゃうことがあるんですよね。「個性が死にがち」というのは、面白い表現だなと思いました。

こうなってしまうと他のことに本当に関心が持てなくなってしまうので危険です。意識的に必要ないこと、変わったことをしていくことがだいじ! 歳とると新しいものに興味が向かなくなりがちと聞きますが、その傾向を防ぐためにも大事かもしれません。

セレンディピティとエコーチェンバーの話

ところで、自分が現役でゲームやっていたころにはまったく接点がなかったポケモン(Nintendo 3DSの)を、子供と一緒に遊び始めたのをきっかけに、ここ数年けっこうやり込んでいました。

関連してYouTubeで対戦実況動画を見たりするんですが、上記の「福寿草」を知ったのも、とある実況動画がきっかけでした。勝手にお名前を出すのもあれかもしれないので伏せますが、「ずっと真夜中でいいのに。」というユニットの新曲がいいから聴いてみて、という話があって、その不思議な名前が気になってメモっていました。

この動画を最初に見たときは正直ピンと来なかったんですけど、何度となくYouTubeのホーム画面で「あなたへのおすすめ」として挙がってくるので繰り返し見ていたらだんだん見慣れていい感じになってきました。

そうすると、おすすめ枠に音楽系動画が増えてきて、「福寿草」という曲を最初に知ったのは初音ミクではなく、「まじ娘×愛島」さんの「歌ってみた」動画でした。こちらとてもいい。

そこから作曲者の「ぐにょ」さんで検索して、初音ミクの動画に辿り着きました。

レコメンドって面白くて、また同時に怖いなあと思います。知らないものをこうやって紹介してくれるのは、とても面白い。

ポケモンの対戦実況動画も、誰かの動画を見始めると、共通するファンを持つ(と思われる。または交流がある? いずれにせよ共通するクラスターとして扱われているらしい)複数人の動画がおすすめによく出るようになります。でも、同じポケモン対戦実況者でもクラスターが違うと滅多に出てこないようです。

音楽系の動画も、「ずっと真夜中でいいのに。」と同じクラスターのチャンネルがいくつかあるようで、それらの動画は頻繁におすすめされますが、それ以外にもたくさん存在するのだろう歌い手やらボカロPの動画は、あまり見つけられていない気がします。そして、そのクラスターの飛び越え方がイマイチよくわかりません。

インターネットやSNSはセレンディピティ(偶然のナイスな出会い)をもたらしてくれる、と言う人もいれば、自分と同じ意見ばかりを引き寄せるエコーチェンバー(反響室)であると指摘する人もいます。

最初に紹介した初音ミク「福寿草」に至る発見はセレンディピティと言っていいと思いますが、YouTubeのレコメンドの動きはエコーチェンバー的に見え、サービスの中の人の匙加減でわれわれの情報体験は大きく変えられるんだなと実感した体験でもありました。

そもそもコンテンツの量が多すぎる現代に、気付けない、発見できないことはある程度仕方がないのでしょう。死ぬまでに発見できればいいんだけど、本人側にも流通システムの側にも、ボーッとしていると意外なほど「いつものヤツ」の壁を越えられない構造になっているのかも? という点が気になっています。

「文章を書く」ことのゴール設定の話

文章を書くことに関心がある人、文章の書き方を学びたい人は多いです。ですが具体的にどんな文章を? と考えていくと、かなり方向性の違いが見られ、曖昧なまま語りだすと、混乱を起こしがちだと思います。

「論理国語」か、「文学国語」か?

私は「好きな“書き手”は?」と問われると最初に川端康成が浮かんでしまうんですが、今、川端康成のような文学的な表現力を付けたくて「文章の書き方を学びたい」と言う人は多くないでしょう(明確に「小説を書きたい」「詩を書きたい」という人は、それはそれで)。論理的に説明できるようになりたいとか、仕事での文書作成が苦手なので克服したいとか、そういったゴールを見ている人が多いと思います。

ただ、論理的な文章の書き方と、文学的な書き方は別物ではあっても対立するものではなく、むしろ両輪と言えるものだと捉えたほうがいいでしょう。一時期、高校の国語が「論理国語」と「文学国語」に別れるとかで話題になり、なんだよ文学軽視かみたいな批判も出ていたように記憶していますが、文科省の意図も、分けることで学ぶ際の曖昧さをどうにかしようものだと思われます。

文科省の資料を見ると、論理国語、文学国語と「国語表現」の3教科により「思考力・判断力・表現力等」をそれぞれ別の面から育成しよう、という狙いであるようです。

高等学校学習指導要綱解説 国語編(文部科学省)

こちらも参考まで。国語を教える立場の人やオーソリティと目される人が相手の問題意識や狙いをきちんと調査せず批判を始めているのだとしたら、まさに「論理的に書く力」の不足を露呈しているように思われます。話が逸れました。

高校国語に選択科目「論理国語」登場で物議 「授業から文学が消える」はどこまで本当なのか | キャリコネニュース

現代のビジネスシーンでは論理的な文章の構成・表現力が重要になる場面が大半ですが、実用書・ビジネス書・自己啓発書の類で物語仕立てになっているものも多く、論理的に書けるだけでなく、文学的な面の文章力もある(「おもしろい」お話が書ける、共感されるストーリーテリングができる)ことは、確実に仕事の幅を広げます。

「読者との距離」の意識

あなたがやりたい「文章を書く」は具体的にどんなことですか? と問うとき、もっとも重要なのが文章を読んでほしい相手(読者像)の想定、ビジネス風に言えばターゲット設定であろうと考えています。文章の読まれ方は多様化しました、文章を発表できる場が増えたという捉え方もできるかもしれません。

わかる人にはわかる文章を書いて楽しめればいいのか、前提知識が乏しい人に大きな何かの全体像を大過なく伝えたいのか、専門家向けに高度な専門知識を正確に伝える必要があるのか、はたまた現時点で興味のない人にいくらかでも関心を持ってほしいのか。想定する読者像によって適切な書き方は大きく変わってきます。

会社の部署内で伝わればいい文章ならばかなり前提を省けるけど、社長や経営陣にも読ませるならば説得力を高めるデータやら構成やらの練り込みが必要になりします。入門書と専門家向けの書籍でも求められる書き方がまったく異なりますし、とりあえずバズって燃やせばいいWeb記事と強度のある検証や批判記事を書くのもぜんぜん違います。

誰にどういうことを伝えて何をしたいのか、明確なイメージを持つことにより読者との距離感をはかり、それに向けた適切な書き方を選べる。そして、選んだ書き方が実際にできるのが、お金になる「文章を書く」スキルなんでしょう。

Web文章術講座が「まず結論から書け」と言う理由

多くの文章の書き方講座、特にWeb用の書き方の解説では、初級編の最重要ポイントぐらいの位置づけで「まず結論(いちばん伝えたいこと、大事なこと)から書け」と述べているはずです。

読者を逃がさない+わかりやすい

この理由は2つあります。1つは「読者を逃がさないため」。Webでは無数のコンテンツが読者の時間を奪い合います。その中で、まず読んでもらわなければ何も始まらない。だから一番おいしいところを頭に持ってくるべきだ、という理論です。

もう1つは「読みやすく理解しやすい文章とするため」。最初に結論を置き、次いで各論に入っていく構造は、読者が細かな文章単位で納得しながら読み進められ、わかりやすくなります。これは前の記事で取り上げた「考える技術・書く技術」で述べている「ピラミッド原則」にも通じます。

「いちばん伝えたいこと」を頂点とする構造

ピラミッド原則とは、いちばん伝えたい重要なことを最初に、次にそれを支える「なぜなら」や「例えば」を配置していく文書構造のルールです。「考える技術・書く技術」の冒頭で、このルールは「自分の考えをわかりやすく伝えることを目的とする文章すべてに適応可能」であるとし、日本の多くの小学生が(たぶん今でも)最初にやらされるであろう時系列の作文と対比してみせ、何が言いたいのか誤解なく読み取りやすいことを示します。

前の記事では「考える技術・書く技術」が「難しい」と述べましたが、言っていることのキモは、シンプルで普遍的です。ただ、こういう文章の組み立て方に「ピラミッド原則」という名前を付けているのは、本書で初めて見ました。

本書の序文によれば、著者のバーバラ・ミント氏が自身の理論を最初に出版したのは1973年。氏の理論は広く普及してあらゆる場所で使われているとも言えます。また、世にある文章術の元祖みたいな感覚で「考える技術・書く技術」を読むのも面白いなと思います。