「ロマンシングサガ リ・ユニバース」をアンインストールした話

リリース日から1カ月ほど遊んで、「ロマンシングサガ リ・ユニバース」(ロマサガRS)をアンインストールしました。

インストールしたとき:
ロマサガがスマホゲーになってしまった。「ロマンシグサガ リ・ユニバース」レビュー | 小林ブログ(仮)

直近のイベントで、こんなのがありました。書いている時点では現在進行形ですが。

  • クエストをクリアすると、稀に宝の地図が手にはいる(体感1%以下。もしくは50%ぐらいで手に入る地図を50貯める)
  • 宝の地図を持ってダンジョンに入ると、稀にガチャチケットがドロップする(ドロップ率は謎だが、3回試行してゼロ)
  • ガチャチケットでガチャが引ける(SSレアの排出率は5%のはず)

まあ、3重のくじ引きみたいなもんですね。

これが面白いと感じられる心理状態もあるだろうけど、今の自分にはスマホの演算&通信能力の無駄遣いとしか感じられず、また、このゲームで今後何か面白いことが起きる可能性も見えなくなってしまいました。残念。

と思っていたら、カムバックボーナスが豪華という噂が聞こえてきたぞ…!?

正月休みに買ったスマホアプリ版のロマサガ2は面白かったです。私にとってゲームは「ハレ」のものであり、遊びたい作品が出たら買ってきて集中的に遊び、パッとやめるスタイルが合っていて、日常の習慣化が要求されるスマホゲーはなかなか合わないのかなあ。

世界はなぜ「良くなっている」と言えるのか?―「ファクトフルネス」書評

尊敬する何人もの著者の方々が原稿中で名前を挙げ、言及してきたハンス・ロスリング氏の著書が出たと聞いて、読みました。

ハンス・ロスリング氏は医師であり公衆衛生学者であり、TEDの人気スピーカーとしてもよく知られています。

人間は、思い込みや偏見を持って世の中を見がちだ(これを本書では「ドラマチックすぎる世界の見方」と呼ぶ)。思い込みや偏見を排し、事実(データ)に基づいて世界を見る習慣――これを本書では「ファクトフルネス」と呼ぶ――を身に付けよう、と説く内容です。

ハンス・ロスリング氏も「思い込み」にとらわれていた

スウェーデンとインドで学んだロスリング氏は、アフリカのモザンビークで医師としてキャリアをスタートしたそうです。氏が未開の地で謎の症状を呈する病気の流行に悩んだり、西洋人である自らに根付いていた偏見に気付かされたり、といった体験談から、本書を構成する10の「思い込み」の章はすべて始まります。

「思い込みを捨てよ。データを通して世界を見よ」と説く本である、という概要は購入前に聞いていましたが、本書を開く前には少々不安がありました。データの重要さ、科学的視点の大切さを説く人の中には、なんか妙にバカに冷たい人がいるんですよね。

原発事故のあと、他人の不安感情に取り合わず、事実や正論なのだろう数字絡みの話に終始するだけの人を、しばしばTwitterなどで見かけました。それじゃあ事実をもってしても人を説得するのは難しいよなと思うわけです。そこまで冷淡でないまでも、事実の前にある感情のギャップをどう捉えていくのかなと。

その点において、本書は周到にできています。まず、著者自身の失敗談から入ることで、思い込みは誰にでもあるのだと著者の人生をもって示しています。ときには自らの誤りから人の命を失わせてしまった(氏が正しく判断できた場合に救えたかといえば、そうとも限らない気もしますが)エピソードまであり、これ以上ない重さがあります。

失敗例は自身や自らが教えた学生、または講演した西洋のエリートたちから取る一方、いい例には著者が接したアフリカやアジアの人々を多く挙げる事例の選択は、ある程度意識的にされているのだろうと思います。

ロスリング氏はアフリカで多くを学び、目の前の1人の重症患者の治療に集中するよりも環境を整える公衆衛生学的な視点が、より多くの人を救うことにつながると確信します。データを重視する姿勢や、その後の「人々は驚くほど世界の事実を知らない」という発見、そして生涯をかけた世界の無知を正す活動につながっていきます。

本書は「データが大事」と説く内容ですが、こうしたロスリング氏のストーリー、つまりエモーショナルな要素が、その主張に強い説得力を与えていると感じます。

「悪い」と「良くなっている」は両立する

本書の前半に、何度も「世界は良くなっている」というフレーズが使われます。私は、この言葉に反発しながら読んでいました。世界は全体的には少しずつ豊かになっているかもしれないが、豊かになればなったで新しい問題が生まれる。単純に「良くなっている」と言えるのか? と。

しかし、氏はこうも言っています。「世界のいまを理解するには、『悪い』と『良くなっている』が両立することを忘れないようにしよう。」(P.90)と。

世界は少しずつ物質的・経済的に豊かになり、氏が専門とする公衆衛生の面でも確かに改善が続いています。でも何もかもが順調であり問題がないという意味で「良くなっている」と言っているわけではないし、後の章では地球温暖化に対する深い懸念も示されています。

とはいえ、著者が設定した点において「良くなっている」ことは事実であり、今ある問題も解決は可能であると氏は考えている。「悪い」と「良くなっている」は両立する。むやみに悲観せず、いい面だけ見て慢心することもなく、取り組みを続けていくことが必要だ―。

言われてみれば多くの人が同意できることだと思いますが、単純な話ではないので、こうした意識を共有する機会は意外と少ないと思います。本書でもこの話に至るまでに100ページ近くを要しているところに、あらためて難しさを感じもしました。

とはいえ、この、なかなか一言では表しにくい認識を共有することが、本書のいちばん大事なポイントではないかと感じました。

世界はすべてつながって、人に備わっている認知能力だけではすべてを把握しきれない。また、古来からある本能が広すぎる世界や速すぎる動きの理解を阻んでしまうこともある。だからこそ認知の助けとしてデータを活用し、「正しく」捉える必要がある。それを常識とし、トレンドとしていくことが、まず大切なのだと思います。

「有益なゲーム」は存在するか?

ゲームデザイナー・ゲーム研究者のジェイン・マクゴニガル氏は、ゲームを非常に前向きにとらえています。いわく、ゲームにおいて人々は前向きに大きな目標に向けて取り組み、工夫し協力して、目標を達成する力を持てるようになる、と。

彼女は自身が脳震盪からうつ病になってしまったとき、自らの開発したゲーム「スーパーベター」を利用して克服したそうです。著書 「スーパーベターになろう!」にて、 その体験をもとにゲームを使って自分をよりよくする方法を説いています。

TEDの複数の公演が動画として公開されているので、彼女の考えを知るには、これらを見るのが手っ取り早いでしょう。

さて、まだ「ロマンシングサガ リ・ユニバース」を続けているんですが、こういうスマホゲーム、いわゆるソシャゲ、ガチャゲーの類はジェイン・マクゴニガル氏が言うようなゲームのポジティブで有益な面を持っているのかなあ? と思いながらプレイしていました。

参照:
ロマサガがスマホゲーになってしまった。「ロマンシグサガ リ・ユニバース」レビュー | 小林ブログ

ガチャゲーではスーパーベターになれない?

ソシャゲのガチャって、ユーザー側にはなんの工夫も必要なく、また工夫したくてもできる余地がなく、口を開けてボタモチが落ちてくるのを待つだけのものじゃないですか。そう考えると、明らかにマクゴニガル氏が言う「ゲーム」とは別物に思えます。

Twitterでツイートを追っていると、ガチャの出がよくて喜ぶ人、悪くてキレる人、怒りの追い課金(予定外の出費)をする人、引退を宣言する人などがいます。ゲーム本編ではないのに、本編のストーリーや演出よりも圧倒的に大きくプレイヤーの感情を揺さぶるシステムが付いたこれは何なんだろう? とか思ってしまうわけです。

しかし見方をちょっと変えてみると、ガチャはガチャとして希望のキャラが出ないなりに、無課金なりに淡々と遊んでいる人も多いようです。というか、当たり前にそこがサイレントマジョリティなんですね。

まるで、かのスヌーピーの名言「配られたカードで勝負するしかないのさ」を地で行くような(?)。考えてみれば、すべてのことはプレイフルに取り組もうとすれば取り組めるものであり、「ロマンシングサガ リ・ユニバース」にもゲーム攻略のため工夫を要する要素やら、運営から課されるミッションを上手い具合にクリアーするため知恵を絞る必要性やらはあります。

楽しめればそれでいい、のだが…

マクゴニガル氏がイメージしているほどのいい体験はできないかもしれないけれど、まったくのムダ、無益、害悪とも言い切れない。ゲームに対して有益か否かを考えるのがナンセンスだな、ということでこの件は片づけました。遊びはそれ自体が無益でも、人生を楽しくしてくれるならそれでいい。

それにしても、ソシャゲはいろいろ拘束がキツくて、自分のペースで遊べない感じがあります。一方で、遊び方が他人任せで、運営への依存心を強め過ぎるのではないか、という感じもあります。このあたりはまた改めて。

まず大きな、よく転がる石から入れろ

最初にどこで見たのか忘れてしまいましたが、有名なこんな話。

コップの中に、大きな石、中くらいの石、小さな石を入れていきます。小さな石から順に入れていくと、すぐに大きな石は入れられなくなってしまいます。しかし大きな石を最初に入れれば、隙間に中くらいの石、さらにその隙間に小さな石と、大小の石を入れることが可能です。

これが何を意味するか? 大きな石とは私たちの人生で本当に大切なこと、小さな石とはスマホゲーやら暇つぶしの呑みやら、あまり重要でないことだと見立てられます。どうでもいいことで人生を埋めていると、いつのまにか本当に大切なことに向き合う時間がなくなってしまう。

「大きな石」とは、学問や仕事に限らず、大切な人のための時間や趣味の時間など、自分にとっていちばん大事なものが相当するようです。が、あらためて考えてみると、いちばん大事なものって何だ…?

2018年までの数年間、それは息子と共有する時間だと考えていました。が、息子も中学生になる今年からは、ちょっと考え方を変えるべきだなと思っています。

となると、はて…と少々迷っているのが正直なところですが、それ自体で完結するのでなく、よく転がって、新しい何かにつながりそうなものを選びたいなと。ここ何年かやってきたポケモンは本当によく転がって楽しかったですかね(過去形で書いたけど今年ピタッとやめるわけではありません)。

そう思いつつ、初詣はポケモンセンターと近所の神社でした。

「痴的生活」を設計しよう

知的生活の設計」。著者の堀正岳さんよりご恵贈いただきました。それにしても「知的生活」ってなんか凄くないですか。いやいや私ごときが知的生活なんて…。

「知的生活」の字面にビビらなくもていい

いやまあ実際のところ、本書は特別に高尚だったり難解だったりはしませんし、「知的」が指すところも、多くの人がパッと思い浮かべるほどハードコアなものではありません。

本書の冒頭に、こういう一節があります。

しかし実際には、現代の情報社会でおよそ「知的生活」的なものにまったく触れずに生きている人はほとんどいません。あなたは本や漫画を読まれるでしょうか? アニメを楽しんだり、音楽や映画を楽しんだりするでしょうか? 趣味のために時折財布に痛い出費をしたり、遠くまで旅をしたりするでしょうか?
そのすべてが「知的生活」の芽を含んでいるといっていいのです。

「知的生活の設計」P.10より

現代は日々山のような情報が生み出され、あらゆることが急速に変化しています。仕事に関係することはもちろん、趣味のことだって。

だから、それなりの情熱を持って追いかけていないと、すぐに取り残されてしまいます。以前は興味を持って見ていたジャンルが、育児、仕事、病気等々で少し離れていた間に大きく変わってしまっていた、といった経験は多くの人がしているでしょう

そういう状態を嘆くのでなく、速い情報の流れに置いていかれないよう日々自分の「知」をアップデートし、インプットするだけでなくアウトプットもこなして時代の波を乗りこなそう。そうじゃないと、現代に生きているのにもったいないよね? というのが、本書の趣旨であると私は理解しました。

「痴的」な生活も設計できる

で、以前にも紹介したこの話なんですが、

「知的生活」ならぬ「痴的生活」。この「痴」はエロい意味ではなく「何かに夢中になる、耽溺する」といった意味ですが、そういう生活を手放さないことを意識してやっていこう、という読み方もありだなと思いました。

そのように捉えると、本書は「痴」的な生活を切らさないための物理的スペースや時間の作り方、活動費用の確保の仕方、情報発信で痴的フィードバックを得て活動を強くする方法、などのテクニック集として読むことができます。

今まさに忙しくて趣味を失いそうな人が読む…にはちょっと硬いかもしれませんが、多忙に心を奪われ視野が狭くなっていても、本書は強気に10年後を見据えた提案をガンガンかましてくれます。

ゆるい情報でガス抜きするばかりでなく、こういう知恵を少しずつ消化していくことも欠かせないかな、と思います。

2019年の目標とか考えらんねーわ、というぐらい参っている方に、逆におすすめしたい本です。HOWを伝えるこの本のほかに、気持ちに火をつける何かも要るかもしれませんが。

「ヘテロゲニア リンギスティコ」。理解にかなり頭を使う異世界言語探求マンガ

書店で見かけて、気になって買いました。あまりにも「ダンジョン飯」すぎるカバーデザインだけど、同じKADOKAWAだから大丈夫…なのか??

架空世界の人間の言語学者が、魔界に棲むワーウルフ(人狼)やリザードマン(トカゲ人間)などの言語の調査に向かうというのが、本書のテーマです。異種族の身体的特徴から認知やコミュニケーションの特徴、そして言語の成り立ちなどが設定され、それを探求していくのが興味深い。

モンスターの「食べ物」としての特徴が細かく設定された「ダンジョン飯」と通底するノリを感じますが、世界観の作り込みの緻密さ、深さは、本作「ヘテロゲニア リンギスティコ」の方がかなり果てしなくやってしまっている感じです。例えばワーウルフは息を吸いながら言語を発する、液状の身体を持つスライムは自在に分離・結合でき、その際に記憶や人格が混ざる、などなど…。

とにかく情報量が多いうえに人間界の常識とは異なる事象が次々と起こるため、「ダンジョン飯」の食事シーンのように「うまそう」「まずそう」とかでさらっとは読み流せません。ひとエピソードごとに若き言語学者ハカバ君の体当たりのトライを見て、状況を把握し、理解したうえで「なるほど面白い!」という感想に至る必要があるので、なかなか頭を使うマンガです。

なので、疲れているときにサラッと読める感じではないんですが、脳のふだん使わない場所を刺激したいときには「人狼とクラーケンの商談のしかた」などを本書で読むのも一興かなと思います。

ちなみに本作ではWebでも読めるようです。公開中の10話までが、コミックス1巻にも収録されていました。

「ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~」各話一覧|ヤングエースUP – 無料で漫画が読めるWebコミックサイト

アラフィフにしてボカロを聴き始めた話

この曲を聴いてみてください。ステキだ。惚れ惚れ。

これまで初音ミクやボーカロイドはIT系ニュースとしては見ていたものの、実際に曲を聴いてみようと思ったことがありませんでした。なんでだろう? と改めて考えるに、特に深い理由があったわけではなく、単にそこまで関心を持つことがなかっただけだと思います。

初音ミクが発売されたのが2007年。当時の私は1歳になった子供のオムツ替えに追われ、音楽では同年にドラマとアニメにもなった漫画「のだめカンタービレ」の影響で、クラシックに入れ込んでいました。アニメやNHKの子供番組の歌もいくらか覚えましたね。

しかし、こんなステキコンテンツにもなかなか気付けないものなんだなあ…と改めて思いました。

関心がしぼむと死ぬ話

少し前にTwitterで「育児してると個性が死にがち」というツイートが話題になっていて、ああ、こういうの育児に限らずあるあるだなあと思ったんですが、

「やらねばならないこと」(育児なり仕事なり)に時間も意識も占領され尽くしてしまうと、あるときふと気づいたら何事にも関心が持てなくなっていて、生きている意味がよくわかんなくなっちゃうことがあるんですよね。「個性が死にがち」というのは、面白い表現だなと思いました。

こうなってしまうと他のことに本当に関心が持てなくなってしまうので危険です。意識的に必要ないこと、変わったことをしていくことがだいじ! 歳とると新しいものに興味が向かなくなりがちと聞きますが、その傾向を防ぐためにも大事かもしれません。

セレンディピティとエコーチェンバーの話

ところで、自分が現役でゲームやっていたころにはまったく接点がなかったポケモン(Nintendo 3DSの)を、子供と一緒に遊び始めたのをきっかけに、ここ数年けっこうやり込んでいました。

関連してYouTubeで対戦実況動画を見たりするんですが、上記の「福寿草」を知ったのも、とある実況動画がきっかけでした。勝手にお名前を出すのもあれかもしれないので伏せますが、「ずっと真夜中でいいのに。」というユニットの新曲がいいから聴いてみて、という話があって、その不思議な名前が気になってメモっていました。

この動画を最初に見たときは正直ピンと来なかったんですけど、何度となくYouTubeのホーム画面で「あなたへのおすすめ」として挙がってくるので繰り返し見ていたらだんだん見慣れていい感じになってきました。

そうすると、おすすめ枠に音楽系動画が増えてきて、「福寿草」という曲を最初に知ったのは初音ミクではなく、「まじ娘×愛島」さんの「歌ってみた」動画でした。こちらとてもいい。

そこから作曲者の「ぐにょ」さんで検索して、初音ミクの動画に辿り着きました。

レコメンドって面白くて、また同時に怖いなあと思います。知らないものをこうやって紹介してくれるのは、とても面白い。

ポケモンの対戦実況動画も、誰かの動画を見始めると、共通するファンを持つ(と思われる。または交流がある? いずれにせよ共通するクラスターとして扱われているらしい)複数人の動画がおすすめによく出るようになります。でも、同じポケモン対戦実況者でもクラスターが違うと滅多に出てこないようです。

音楽系の動画も、「ずっと真夜中でいいのに。」と同じクラスターのチャンネルがいくつかあるようで、それらの動画は頻繁におすすめされますが、それ以外にもたくさん存在するのだろう歌い手やらボカロPの動画は、あまり見つけられていない気がします。そして、そのクラスターの飛び越え方がイマイチよくわかりません。

インターネットやSNSはセレンディピティ(偶然のナイスな出会い)をもたらしてくれる、と言う人もいれば、自分と同じ意見ばかりを引き寄せるエコーチェンバー(反響室)であると指摘する人もいます。

最初に紹介した初音ミク「福寿草」に至る発見はセレンディピティと言っていいと思いますが、YouTubeのレコメンドの動きはエコーチェンバー的に見え、サービスの中の人の匙加減でわれわれの情報体験は大きく変えられるんだなと実感した体験でもありました。

そもそもコンテンツの量が多すぎる現代に、気付けない、発見できないことはある程度仕方がないのでしょう。死ぬまでに発見できればいいんだけど、本人側にも流通システムの側にも、ボーッとしていると意外なほど「いつものヤツ」の壁を越えられない構造になっているのかも? という点が気になっています。

Web文章術講座が「まず結論から書け」と言う理由

多くの文章の書き方講座、特にWeb用の書き方の解説では、初級編の最重要ポイントぐらいの位置づけで「まず結論(いちばん伝えたいこと、大事なこと)から書け」と述べているはずです。

読者を逃がさない+わかりやすい

この理由は2つあります。1つは「読者を逃がさないため」。Webでは無数のコンテンツが読者の時間を奪い合います。その中で、まず読んでもらわなければ何も始まらない。だから一番おいしいところを頭に持ってくるべきだ、という理論です。

もう1つは「読みやすく理解しやすい文章とするため」。最初に結論を置き、次いで各論に入っていく構造は、読者が細かな文章単位で納得しながら読み進められ、わかりやすくなります。これは前の記事で取り上げた「考える技術・書く技術」で述べている「ピラミッド原則」にも通じます。

「いちばん伝えたいこと」を頂点とする構造

ピラミッド原則とは、いちばん伝えたい重要なことを最初に、次にそれを支える「なぜなら」や「例えば」を配置していく文書構造のルールです。「考える技術・書く技術」の冒頭で、このルールは「自分の考えをわかりやすく伝えることを目的とする文章すべてに適応可能」であるとし、日本の多くの小学生が(たぶん今でも)最初にやらされるであろう時系列の作文と対比してみせ、何が言いたいのか誤解なく読み取りやすいことを示します。

前の記事では「考える技術・書く技術」が「難しい」と述べましたが、言っていることのキモは、シンプルで普遍的です。ただ、こういう文章の組み立て方に「ピラミッド原則」という名前を付けているのは、本書で初めて見ました。

本書の序文によれば、著者のバーバラ・ミント氏が自身の理論を最初に出版したのは1973年。氏の理論は広く普及してあらゆる場所で使われているとも言えます。また、世にある文章術の元祖みたいな感覚で「考える技術・書く技術」を読むのも面白いなと思います。

「考える技術・書く技術」感想

「文章術」本を読んだよシリーズで今回取り上げるのは、「新版 考える技術・書く技術」(バーバラ・ミント)。私は「ロジカルシンキング」の何たるか(誰が提唱し、どう広められ、定着してきた言葉なのか?)をちゃんと理解できている自信がありませんが、本書はコンサルタントおよびビジネス文書作成に携わる多くの人のための、考え方のルーツが書かれたものだと認識しています。

この本は確かに難しい

Amazonを見ると、本書を「難しい」というレビューがとても多いです。これはおそらく、それだけ本書に「挑む」人が多いことの証拠でしょう。と同時に、本書はマジ難しいですね。

本文がハイペースかつ高密度なので、非常に脳の頑張りを要求します。図解や例文が随所に付いた丁寧な編集がなされ、おそらくは「わかりやすさ」への配慮がけっこう行われているのだけど、コンサルの実務向けというレベルを妥協していないためか、例文がガチすぎて、例文を読むだけで疲れる(笑)。たらっと通読しただけでは、ぜんぜん分かった気になれませんでした。

おそらく本書は、日々実務にあたりながら少しずつ、繰り返し読むことで、徐々に理解が深まり血肉になっていくタイプの本ではないかなと思います。今どきの編集・デザイン技術によって「わかりやすさ」重視で作り込まれた本と、20世紀の本では素材の煮込み方が全然違う(硬い!)。

私が読んでいて、実務で日々取り組む第1部「書く技術」はけっこう理解できた感覚がありました。が、第2部「考える技術」は数ページ読むごとに疲れて手が止まりました。第3部「問題解決の技術」はボリュームが少な目だし前2部を前提に読めばそこまで難しくはないかなという感触。いずれにしても、読んで実践してまた読んで考える、というサイクルが必要なのかなと感じます。

あえて真正面から本書に挑まず、本書を部分的に取り出して噛み砕いたような本を見ながら、練習していくのもありかもしれません。具体的にどの本…というのは今のところ探していないので挙げられませんが。

「言葉にできる」は武器になる(フンワリとした感想)

最近、目についた「文章術」の本を何冊か読んでいました。この手の本は、だいたい以下の3種類に分類できるようです。

1.ロジカルシンキング&ライティング
データの整理や分析に必要になる、論理的な思考と記述のフレームワーク。マーケターやアナリスト向け。

2.クリエイティブ
ロジックだけでは到達できないアイデアを生み出すためのノウハウと表現術。コピーライターや広告宣伝担当者、プランナーなど向け。

3.文章の表現術、Tips
「思考」のレベルには深入りせず、伝えるべき内容が既にある場合の読みやすさや正確さを重視した文章表現のハウツー。記者やブロガー向け。

一度見たら忘れられないタイトルがいい。クリエイティブのための丁寧な解説書

まず取り上げる梅田悟司氏の「『言葉にできる』は武器になる」は、上記の分類でいうと2番目です。仕事の文書作成で悩む人に直接答えを教えるような内容ではないけれど、自分の言葉が伝えたいことをうまく表現できていない気がする、自分の内面にあるものをもっとうまく伝えたい、相手の心に響かせたい、という人向けです。

本書の朴訥で力強い書名は一度目にしたら忘れられず、とても気になっていました。「武器」うんぬん言って思考メソッドを売る本は瀧本哲史氏のシリーズはじめいろいろと出ていますが、本書の「武器になる」のニュアンスはほかの本ほどトゲトゲしていた感じではない、ちょっと丸っこい感じがします。

外に向かう言葉を生み出すには『内なる言葉』を磨く必要がる」というテーマのもと、本書では内なる言葉の「解像度を上げる」思考術と、「外に向かう言葉」としての表現術が、具体的な手法として解説されます。

思考術の基本は、頭の中にあるものを「紙に書き出し」て「寝かせる」というもの。本書も大筋では古今東西の発想術や思考術本が言っていることと変わらず、これが王道なんだなという印象です。

そのうえで本書の特徴的な点は、「書いて寝かせる」だけでなくロジカルシンキングの手法も取り入れつつ、もう少し具体的なやり方を加えている点です。私が記憶している限り「書いて寝かせろ。そのうち発酵して何か出てくる」と書いている本がそれ以上の具体的な手法にまで踏み込む例は少なく、クリエイティブな思考術や発想を身に付けたい読者に優しいです。

また、本書の「内なる言葉の解像度を上げる」という表現が秀逸です。発想術みたいなものだと「アイデアが出る/出ない」で結果はゼロかイチかとなってしまいがちですが、アイデアが降ってくる前の段階、何かの兆候が見え…そうだぐらいの段階も「解像度が上がった」と言えるでしょうし、段階的な進化を自覚しながら発想の過程に取り組んでいけるでしょう、たぶん。

本書で最初に出てくる「書き出した言葉」の例は、やや心配になるほどに俗で、捻りがありません。例えば「同期で一番になる」とか「英語やらなきゃ」とか。でも、これを整理し、著者が「T字型思考法」と名付けた手法を用いて自分に問いかけ、寝かせて客観視することで、内なる言葉の解像度が上っていくと言います。

ただ、上記の例のような俗な言葉たちがどう磨かれていくのか、そのあとの例に繋がってないところはちょっと不満に感じました。その後の具体的に言葉にする段階では、もうかなり上手い表現が例として出てくるんですけど、「同期で一番になる」レベルの煩悩から解像度をどれくらい上げていけばいいのか、ちょっと具体的なイメージが掴めませんでした。

借り物の言葉ばかりじゃつまらない、という人に

本書の最後で、著者は執筆の動機を次のように書いています。周囲の多くの若い仲間たちは若いからといって考えが浅いということはないが、考えることを言語化できず、歯がゆさを感じている様子が見て取れる、と。

今の世の中、SNSには紋切り型の表現が溢れており、無用な摩擦を回避しうわべだけの共感や同調を示すには、それら借り物の言葉が便利です。しかし、それだけでは満たされないと感じる人が多いのでしょう。本書はかなり売れていると思いますが、内なる言葉と向き合いたい、思いや考えをもっとうまく伝えたいと考える人がそれだけ多いのであれば、頼もしいことだと思います。