「文章を書く」ことのゴール設定の話

文章を書くことに関心がある人、文章の書き方を学びたい人は多いです。ですが具体的にどんな文章を? と考えていくと、かなり方向性の違いが見られ、曖昧なまま語りだすと、混乱を起こしがちだと思います。

「論理国語」か、「文学国語」か?

私は「好きな“書き手”は?」と問われると最初に川端康成が浮かんでしまうんですが、今、川端康成のような文学的な表現力を付けたくて「文章の書き方を学びたい」と言う人は多くないでしょう(明確に「小説を書きたい」「詩を書きたい」という人は、それはそれで)。論理的に説明できるようになりたいとか、仕事での文書作成が苦手なので克服したいとか、そういったゴールを見ている人が多いと思います。

ただ、論理的な文章の書き方と、文学的な書き方は別物ではあっても対立するものではなく、むしろ両輪と言えるものだと捉えたほうがいいでしょう。一時期、高校の国語が「論理国語」と「文学国語」に別れるとかで話題になり、なんだよ文学軽視かみたいな批判も出ていたように記憶していますが、文科省の意図も、分けることで学ぶ際の曖昧さをどうにかしようものだと思われます。

文科省の資料を見ると、論理国語、文学国語と「国語表現」の3教科により「思考力・判断力・表現力等」をそれぞれ別の面から育成しよう、という狙いであるようです。

高等学校学習指導要綱解説 国語編(文部科学省)

こちらも参考まで。国語を教える立場の人やオーソリティと目される人が相手の問題意識や狙いをきちんと調査せず批判を始めているのだとしたら、まさに「論理的に書く力」の不足を露呈しているように思われます。話が逸れました。

高校国語に選択科目「論理国語」登場で物議 「授業から文学が消える」はどこまで本当なのか | キャリコネニュース

現代のビジネスシーンでは論理的な文章の構成・表現力が重要になる場面が大半ですが、実用書・ビジネス書・自己啓発書の類で物語仕立てになっているものも多く、論理的に書けるだけでなく、文学的な面の文章力もある(「おもしろい」お話が書ける、共感されるストーリーテリングができる)ことは、確実に仕事の幅を広げます。

「読者との距離」の意識

あなたがやりたい「文章を書く」は具体的にどんなことですか? と問うとき、もっとも重要なのが文章を読んでほしい相手(読者像)の想定、ビジネス風に言えばターゲット設定であろうと考えています。文章の読まれ方は多様化しました、文章を発表できる場が増えたという捉え方もできるかもしれません。

わかる人にはわかる文章を書いて楽しめればいいのか、前提知識が乏しい人に大きな何かの全体像を大過なく伝えたいのか、専門家向けに高度な専門知識を正確に伝える必要があるのか、はたまた現時点で興味のない人にいくらかでも関心を持ってほしいのか。想定する読者像によって適切な書き方は大きく変わってきます。

会社の部署内で伝わればいい文章ならばかなり前提を省けるけど、社長や経営陣にも読ませるならば説得力を高めるデータやら構成やらの練り込みが必要になりします。入門書と専門家向けの書籍でも求められる書き方がまったく異なりますし、とりあえずバズって燃やせばいいWeb記事と強度のある検証や批判記事を書くのもぜんぜん違います。

誰にどういうことを伝えて何をしたいのか、明確なイメージを持つことにより読者との距離感をはかり、それに向けた適切な書き方を選べる。そして、選んだ書き方が実際にできるのが、お金になる「文章を書く」スキルなんでしょう。