「有益なゲーム」は存在するか?

ゲームデザイナー・ゲーム研究者のジェイン・マクゴニガル氏は、ゲームを非常に前向きにとらえています。いわく、ゲームにおいて人々は前向きに大きな目標に向けて取り組み、工夫し協力して、目標を達成する力を持てるようになる、と。

彼女は自身が脳震盪からうつ病になってしまったとき、自らの開発したゲーム「スーパーベター」を利用して克服したそうです。著書 「スーパーベターになろう!」にて、 その体験をもとにゲームを使って自分をよりよくする方法を説いています。

TEDの複数の公演が動画として公開されているので、彼女の考えを知るには、これらを見るのが手っ取り早いでしょう。

さて、まだ「ロマンシングサガ リ・ユニバース」を続けているんですが、こういうスマホゲーム、いわゆるソシャゲ、ガチャゲーの類はジェイン・マクゴニガル氏が言うようなゲームのポジティブで有益な面を持っているのかなあ? と思いながらプレイしていました。

参照:
ロマサガがスマホゲーになってしまった。「ロマンシグサガ リ・ユニバース」レビュー | 小林ブログ

ガチャゲーではスーパーベターになれない?

ソシャゲのガチャって、ユーザー側にはなんの工夫も必要なく、また工夫したくてもできる余地がなく、口を開けてボタモチが落ちてくるのを待つだけのものじゃないですか。そう考えると、明らかにマクゴニガル氏が言う「ゲーム」とは別物に思えます。

Twitterでツイートを追っていると、ガチャの出がよくて喜ぶ人、悪くてキレる人、怒りの追い課金(予定外の出費)をする人、引退を宣言する人などがいます。ゲーム本編ではないのに、本編のストーリーや演出よりも圧倒的に大きくプレイヤーの感情を揺さぶるシステムが付いたこれは何なんだろう? とか思ってしまうわけです。

しかし見方をちょっと変えてみると、ガチャはガチャとして希望のキャラが出ないなりに、無課金なりに淡々と遊んでいる人も多いようです。というか、当たり前にそこがサイレントマジョリティなんですね。

まるで、かのスヌーピーの名言「配られたカードで勝負するしかないのさ」を地で行くような(?)。考えてみれば、すべてのことはプレイフルに取り組もうとすれば取り組めるものであり、「ロマンシングサガ リ・ユニバース」にもゲーム攻略のため工夫を要する要素やら、運営から課されるミッションを上手い具合にクリアーするため知恵を絞る必要性やらはあります。

楽しめればそれでいい、のだが…

マクゴニガル氏がイメージしているほどのいい体験はできないかもしれないけれど、まったくのムダ、無益、害悪とも言い切れない。ゲームに対して有益か否かを考えるのがナンセンスだな、ということでこの件は片づけました。遊びはそれ自体が無益でも、人生を楽しくしてくれるならそれでいい。

それにしても、ソシャゲはいろいろ拘束がキツくて、自分のペースで遊べない感じがあります。一方で、遊び方が他人任せで、運営への依存心を強め過ぎるのではないか、という感じもあります。このあたりはまた改めて。